N35°35’03.33″ E139°33’29.20″
平成5年から15年くらいかな、僕が郵政社宅にいたのは。
正式名称は元石川郵政社宅。1968年、だからいまから50年前か。この地に社宅ができて…最初は下のほうができて、順番にできたなんてはなしをききますね。最終的には社宅全体は550世帯くらい、いちばん大きい国家公務員社宅でね。むかし、ほら郵便局員って国家公務員だったじゃないですか。全国的になかなかこれだけの規模っていうのはなかったみたい。けっきょく最大550世帯入っていて、だいたいひと家族四人いるとすると、ここだけで2000人くらい住んでたわけで、それが50年で入れ替わり立ち替わり、ま、どれだけの人間がこの街におせわになったのかな、とおもうと感慨深いですね。今年の3月末をもって完全閉鎖、ここ2、3年かけて徐々に徐々にみんなでていって、最後まで住んでたのは2~30世帯じゃないですか。約50年ずーっとそれだけの人間がこの地にいて、そこにあったものがなくなるという、節目の年っていえば節目の年。このさきはぜんぜん決まっていないようですけどね。
僕は結婚した年に越してきましてね、そこからこの街に住んでいるので25年ですね。うちも郵政社宅で子どもがふたり生まれて、この街に育ててもらって。ただ郵政社宅にいたときはそとに働きにいってまして、というか、寝に帰るだけの街だったのが、ちょうど4年前に美しが丘四郵便局に異動してきて、そこから、やっぱり街にたいする感じかたや関わりかたが、がらっとかわったというんですかね。
郵政社宅は、むかしのつくりだから、すごくこう、ひろく、緑もいっぱい。自然がいっぱいあって、動物は…、タヌキは見た気がしますね、蛇はおおかったですよ。サクラの木もね、ずいぶんあって楽しみましたよね。それも切られちゃったりして、さびしいですよね。遊具はなかったね、鉄棒ぐらいしかなかったんだけど、ここのドングリ公園で雪が降るとみんなそり遊びするんですよね。そうなんです、臼状になってるから、雪がふるとうちの子どもなんかけっこう楽しみにしててね。子どもたち、よく雪合戦やってましたね。
あとは、なんだろな、草刈りとかもこれだけの大規模じゃないですか。で、春と秋にまぁ、住人が草刈りするんですけど、それなんかももう一大行事というか。でれない人なんかは事前にね、一週間くらい前から刈ったりして。子どもの小学校は、みんな美東小でしたね。社宅ができたから美東小ができたんじゃないかみたいなはなしも。
社宅だからみんな同じつくりで似てるじゃないですか。酔っぱらって帰ってくると階を間違えるんですよ。ホントに笑いばなし、1回2回はほかの家をあけそうになったりとか。そんなの、みんなあったっていいますよね。
僕は五階建ての三階でした。エレベーターもないから引っ越しも大変だったですねぇ、つくりが古いから。そうだな、ドアの色が違いましたね。うちはなに色だったろ、覚えてないですねぇ、気になるな。塗り替えとかのルールがあったのかな…けっこう塗り替えしましたよね。横の列で色がいっしょ。いくつあったんだっけ、3、4、5、6…13、14、15、、19棟か、下からA、B、C…G、H。うちは、G3の306でしたね。
写真/文:谷山恭子 編集・校正:谷山恭子/藤井本子